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東京地方裁判所 昭和49年(ヨ)2423号 判決

申請人 天野隆介

右訴訟代理人弁護士 佐伯静治

同 吉川基道

同 大竹秀達

同 佐伯仁

同 服部大三

同 藤倉眞

被申請人 株式会社学習研究社

右代表者代表取締役 古岡秀人

右訴訟代理人弁護士 馬場東作

同 森田武男

同 佐藤博史

同 高津幸一

主文

申請人が被申請人に対し、勤務部署をレジャー出版部とする労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

被申請人は申請人に対し金八四七万四、八七八円を直ちに、また昭和五二年一二月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り月額金一八万二、五〇〇円宛の金員を、それぞれ仮に支払え。

申請人のその余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請人

1  申請人が被申請人のレジャー出版部所属の従業員たる地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し金八六七万六、四二八円を直ちに、また昭和五二年一二月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り月額金一八万七、三〇〇円宛の金員を、それぞれ仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

1  申請人の申請を却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

《以下事実省略》

理由

一  会社が肩書地に本社を、全国に五三支社を置き、資本金一億六二六万円、従業員約二、二〇〇人を擁し、書籍、雑誌、教材、教具、教育映画、教育玩具、教育機械類等の出版、製作、販売等を営む株式会社であること、申請人が昭和四八年三月大学卒業と同時に会社に採用され、三ヶ月の見習期間を経て同年六月に会社のレジャー出版部(後にレジャー出版事業部と、更に再びレジャー出版部と改称)に配属され、以来同部で制作しているボーリング紙「ガッツボウル」の編集に従事してきたものであり、また同年九月に結成された全学研労働組合(労組)の結成に参加し、その組合員であること、会社が昭和四九年一一月一二日付をもって編集総務部内に市場開発室を新設し、同室員として申請人を配置することとし、申請人に対し、同月一一日その内示をしたうえ同月一二日ないし一三日にその配転命令を通知し、同月一三日同室の内容、業務の説明等をしたこと、これに対し申請人は翌一四日から有給休暇をとるなどした後同月二〇日から出社したが、配転前のレジャー出版事業部での就労を要求して配転先の市場開発室での就労を拒否し、以後会社の再三にわたる説得にも応じなかったこと、そこで会社は申請人に対し同月二九日同日付をもって懲戒解雇する旨の意思表示をするとともに解雇予告手当を提供し、申請人がこれを受領した(ただし申請人は、給与の前払いとして受領する旨表明したと主張する。)こと、申請人と会社とは採用時において、「申請人は会社の定める就業規則を承認し、これに従って職務に従事する。」旨の労働契約書を取り交わし、会社就業規則一一条一項に、「会社は業務の都合により従業員に転勤、転籍、勤務替……を命ずることがあります。この場合従業員は正当な理由がなければ拒むことはできません。」との規定があり、また同規則五六条に、「懲戒解雇の基準は次のとおりです。」としてその二号に「正当な理由がないのに異動の命令をこばんだとき。」との規定があること、

以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》並びに前記争いのない事実によると、次の事実が一応認められる。

会社は、昭和四九年一一月一一日傳人事部長より申請人に対し、編集総務部内に新設される市場開発室に申請人を翌一二日付で配転する旨の内示をし、翌一二日右配転の発令を社内的に決定し、翌一三日傳人事部長及び永野編集総務部副部長(以下単に永野副部長という)より右発令を申請人に通知するとともに、初めて同室の業務の概要を説明し、申請人は同日引続き永野副部長より業務内容の説明を受けた後、同室でとりあえず取組むことになっている高校関係の市場調査に関し、その編集制作を担当する高校雑誌編集部の高木部長及び竹内次長より高校生用学習参考書(以下高校学参という)等の説明を受け、次いでレジャー出版事業部の自席に戻って右説明の際手渡された資料に目を通して退社した。申請人は右同日申出て翌一四、一五日の両日有給休暇をとり、一六、一七日は土、日曜の休日であり、一八日も電話連絡で有給休暇をとり、一九日は国鉄ストのため出社せず、二〇日になって出社したが、配転前のレジャー出版事業部での就労を要求し、これに対し会社は同日、同部での就労を禁じ配転先の市場開発室に就業すべき旨の業務命令を発し、翌日からも連日同旨の業務命令を発したが、申請人はこれに応じなかった。この間労組は、右一三日申請人から右発令を受けた旨の連絡と共に救済の申出を受け、一五日会社に対し右発令に関する質問書を提出し、一八日会社からこれに対する回答を受けると、直ちに会社に対しこの問題につき団体交渉を申出ると共に、東京都地方労働委員会に対し斡旋申請をし、同月二〇日に地労委において事情聴取がなされ斡旋期日が同年一二月二日と予定された。そして同年一一月二一日団体交渉のための事務折衝が行なわれた後同月二七日にこの問題に関する最初の団体交渉が行なわれ、労組は右配転が本人の同意に基づかない職種の変更であると共に組合弾圧の不当労働行為であるとして、その撤回を求めたが話合いは平行線のまま同日の交渉は打切られ、労組は会社に対し引き続き交渉を要求している状態の中で、同月二九日前示のとおり申請人に対する懲戒解雇がなされた。これに対し労組は翌三〇日会社に対し、右解雇を不当としてその撤回を申入れると共に、二九日に解雇予告手当として支払われた金員は申請人の昭和五〇年一月分給与として労組が保管する旨通告した。

右のように一応認められるところ、被申請人は本件配転に対し申請人が一旦これを承諾したと主張し、《証拠省略》中にこれに副うかの部分があるが、前掲の他の証拠に照らしこの点はにわかに採用できないものというべく、また右認定の申請人の行動によって申請人が本件配転を黙示に承諾したと解することも、右認定の一連の経過に照らしとうてい採りえないところであり、他に右被申請人の右主張を認めるに足る証拠はない。

二  申請人は本件配転及び懲戒解雇につきその無効理由を再抗弁として種々主張するところ、まず不当労働行為の主張につき判断することとし、それに関わる諸事情を検討する。

1  市場開発室の新設と申請人の人選

《証拠省略》によると、次の事実が一応認められる。

会社は昭和四六年ころまでいわゆる学校直販方式(商品を書店を通さないで学校の場を通して直接消費者に販売する方式)により極めて順調に売上げを伸ばし発展していったが、同年中頃に生起したいわゆる日消連事件(会社が制作販売した学習百科事典に重大な欠陥のあることが日本消費者連盟により指摘されてマスコミに大きく報道され、これに端を発しひいて右学校直販方式が批判にさらされることとなった事件)を契機に、同年九月から翌四七年八月までの経営年度において売上げの停滞(目標の大幅な割り込み)と利益の大幅な減少を招来したが、次いで昭和四八年後半に生起したいわゆる石油ショックに引き続く日本経済界全体の不況を迎えて、これが会社の売上げにも影響することを懸念し、そこで会社は昭和四九年八月ころから編集制作部門内における生産効率向上の施策を検討した結果、① 新規商品企画に際しては市場調査等の慎重な検討を経なければ行なわないこと、② 現行商品を売り易くするための再点検、③ 人件費、取材費等制作原価の節減、④ 効率の悪い部門、商品の整理、が必要であり、右③④から編集制作ライン部門に人員過剰を生ずる反面、①②からは新企画ないし商品点検の基礎となる編集制作ラインから独立した企画調査業務の確立が要請されるとの結論を出した。

一方、申請人が所属、担当していたレジャー出版事業部の「ガッツボウル」の編集制作は、「昭和四七年九月に隔週刊誌としてスタートしたが、一時一世を風靡したボーリングブームは右当時既に頂点を超えていたため、発刊当初から売上げが上らず赤字収支を続け、昭和四九年一月には月刊誌に規模を縮少して維持を計ったものの、結局同年九月いっぱい(同年一一月号の制作)をもって経営上続刊困難の事態に至り、廃刊と決定した。当時その編集業務は編集長本多哲樹、編集員川上浩及び申請人並びに稿料払い社員(正規の会社従業員でなく制作した原稿に応じ稿料を支払う約束で専属的に会社の編集業務に従事する者)大西で担当していたが、右廃刊に伴い会社は、大西を除く右三名を一〇月いっぱいとりあえず組織開発室(前記学校直販方式に代わるコンパニオンによる家庭直販方式の組織作りのため昭和四七年六月に設立された営業業務部門)に応援出向(原籍に留めたまま他部門への応援業務に従事することを会社では出向と呼んでいる)させ(これに対し本多及び川上は応じたが、申請人は労組の指示により一旦これを拒否し一日目は指名ストライキを行った後、二日目から出向に応じた。)、その間に爾後の右四名の担当業務を今井レジャー出版事業部長において検討した結果、本多は同部内の「旅行ホリデー」の編集業務に、川上及び大西は同部内の新企画である季刊誌「ワールドテニス」の編集業務に従事させることに決定したが、申請人については同部内で吸収することができないとして、同年一〇月半ばころ今井部長は人事部に対し申請人の他部への配転を依頼した。本多は昭和四七年末に入社した者であるが入社前の他社の経験を含めて六、七年の雑誌編集経験を有し、川上は昭和四七年ころ入社した者であるが入社前はスポーツ新聞記者として一〇年の経験を有していたのに対し、申請人は入社後約一年半の編集経験を有するにすぎず、今井部長は申請人を他部配転とした理由はこの点にあるという。

そこで会社は、前記施策の実現として、この際編集総務部内に市場開発室を新設し、余剰人員たる申請人をその室員として配転することを決定し、同時に編集総務部を総括していた永野副部長をして同室室長を兼務させることとした。

2  申請人の入社の経緯と市場開発室において予定された業務

《証拠省略》によれば、次の事実が一応認められる。

会社は申請人の応募にかかる昭和四七年の新入社員募集要項において、募集職種を編集制作要員、営業業務要員、技術要員の三種に分け、応募者は必ず希望職種を明記すべく、選考はその区分に分けて行う旨明記し(これに比し、本件配転問題の生起した後の昭和五〇年の募集要項においては、かかる職種別の求人体系を採らず、二年間の各支社での研修を経た後本人の適性を勘案し、編集制作、営業促進、管理、技術等の各部門でそれぞれの業務に従事してもらう旨、そしてその後も必要に応じ部門間の異動、担当職務の変換が活発に行なわれる旨を明記するに至った。)、申請人はこのうち編集制作要員として応募し、その職種用の試験を受けて採用され、入社後約三ヶ月間は職種を問わない合同の研修を受けたが、六月中旬には編集制作部門に配置される者のみを対象とする研修を受けたうえ、編集制作部門であるレジャー出版部に配属されたものであり、また従来の会社における人事の一般的すう勢としても、本人が希望しあるいは経験を積んで会社の重要な地位に就くに至るような場合を別とすれば、編集制作要員として応募し採用された者は概ね入社後相当期間はその職種に配置するという態勢がとられてきた。なお会社においては、編集制作担当従業員としてその基本的技能を獲得する(いわゆる一人前の編集者になる)ためにはほぼ三年間の経験を要するものと考えられている。

右によれば、前記就業規則との対比において、申請人と会社との労働契約が業務内容を編集制作業務と限定した契約であるとはにわかに断定しえないにしても、申請人はもとより会社としても、少くとも入社後相当の期間は、編集制作の業務に従事することを予定して労働契約を締結し、申請人は本件配転当時においても編集制作担当者としてその基本的技能を修得することを当面の目標として業務に従事していたものと推認することができる(なお申請人は、レジャー出版部所属中に会社に提出した職務に関する申告書において、同部の仕事が自分に合わないとして他部門に変わりたいとの希望を申告し、希望先として関連会社である立風書房勤務を記載しているが、これは立風書房における編集担当業務を希望したものであって、営業等他の職種を希望したものではない。)。

一方《証拠省略》によれば、会社が市場開発室のさし当っての業務として予定したものは、① 高校マーケットの開発上の問題点 ② 家庭教育の可能性と限界 ③ 成人分野の商品の可能性、であったが、まず当面は、会社のシェアの低い高校マーケット開発の方策として、会社の現行商品であるアンカー英和、英作文辞典、高校学参「ベストコース」等について、これらを携えて高校を廻り担当教師に面接してその採択、推せんについて話合い、それを通じて右商品の問題点をさぐる、という業務を行うこととされ、そして前記一一月一三日に傳人事部長及び永野副部長から申請人になされた業務説明もこの点を中心になされ、右同日なされた高校雑誌編集部部長及び同次長からの前記説明も、右当面の業務のために行なわれたものであること、右同日の説明において高校関係以外の将来の業務についてどの程度の説明がなされたのかは本件証拠上詳らかでないが、いずれにしても調査活動のスタイルは今後とも右のようなもの(採択等についての話合いというスタイル)になることが予定されたことが一応認められる。

右認定によれば、市場開発室の業務は、その目指すところが新規商品企画ないし現行商品再点検のための市場調査というにあり、当面行うべき高校市場の調査業務も、高校における採択、推せんを目的とするのではなく、それについての話合いを手段として商品の再点検をしようとするものであるから、これをもって営業業務と断ずることはできず、観念的には編集業務に属するものということができるけれども、しかし右はその手段において営業的技法と能力を要するものと解され、申請人が入社以来担当し、かつ当面基本的技能獲得を目指していた編集制作ラインの業務とは著しくその性質を異にするものといわなければならない。

3  労組の結成とそれに至る経緯

《証拠省略》に当事者間に争いのない事実を綜合すると、次の事実が一応認められる。

会社は従来から会社と従業員との関係について、使用者と労働者の対立という観念を排し、従業員は組合員である前に社員であり、従って一人一人が会社を経営しているのだという「運命共同体」の考え方に立つべきであるとの理念を持ち、社内誌「学研ライフ」等を通じて従業員に対しそのような教宣を行ってきた。会社には従業員の団体として昭和三〇年代前半から従組が存在したが、従組は昭和四八年に改正されるまでの規約において、組合員の経済的、社会的地位の向上、福祉の増進と並んで社業の繁栄に寄与することをその目的に掲げ、同盟罷業に関する規定を置かず、従ってストライキを行ったことは一度もなく、規約上定められた総会を開催せず、約二、〇〇〇人の組合員を擁するのに拘らず組合事務所を持たず、賃金問題については団体交渉という形態をとらないで、会社側、従組側双方の委員から成る賃金計画委員会において協議し決定するなど、概して闘争的立場をとらないで会社の右理念に同調的な立場と行動とをとってきた。

このような従組の活動に飽足らない一部組合員からいくつかの批判行動がとられた。即ち、昭和四七年には一部組合員が従組執行部批判のため組合費を払わないという行動をとった(この不払いグループが後の労組結成の中心となった。)のに対し、従組は不払者に対し権利停止処分をもって臨み、これに反発した被処分者がビラ撒きを行ったところ、会社から譴責処分を受けるという事件があり、次いで昭和四八年四月に会社と従組との間に交わされた三六協定の承認に関する従組職場委員会において、二名の委員が右協定について異議を述べ、これに対する従組執行部の対応を不満として同月二三日社前でビラ配布行為に出たところ、これを契機に右二名に対する職場委員リコール運動が展開され、同年五月右リコールが承認されるという事件があった。このようにこれら批判運動は従組の体質を変えることに成功しなかった。

昭和四八年九月ころ、写真部に所属する従業員のうち五名を新設のスポーツレジャー事業部(営業部門)に配転する問題につき、その配転候補者に予定された右不払グループの一員であった富山靖生がこれに反対し、従組執行部に対し救済を申出たところ、これに対する執行部の対応が不十分であるという批判が直接の契機となって、同月三〇日従組の立場に批判的な七七名をもって、従組を労働者の抑圧機関でしかないとしてこれに訣別し、会社は労働者の犠牲の上に発展を遂げてきたものであるとし、これに対し労働者の利益をかちとるため争議行為をもって闘う労働組合を標榜して、労組が結成されるに至った。

結成以来労組は組織拡大に努め、同年末ころには組合員数二一〇名位にまで増加したが、その後昭和五一年九月ころまでには脱退、退職等により一〇〇名位の減少をみた。なお、労組組合員はほとんどが会社の編集制作部門の従業員である。

4  労組結成後の労使関係

《証拠省略》を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

労組は結成後直ちに右富山配転問題に取り組みあわせて会社に対し人事同意条項の締結を要求し、次いで年末一時金につき要求を掲げて団体交渉を行い、これらについて結局昭和四八年末までの間に会社との間で妥結に至ったものの、この間労組は右一時金問題について同年一二月一三日会社始まって以来初めてのストライキ(一時間)を行ったほか、構内集会、ビラ配布、超勤拒否、ビラ貼布などを繰り返えし、また右ストライキの際の構内集会の場で労組員が会社職制に対し暴力を振ったと会社が主張する事態が生起し、会社は右行動の多く(ストライキ、超勤拒否を除く)が組合活動の範囲を逸脱した違法なものであるとして現場において衝突するなど、労使関係は円滑を欠き、昭和四九年一月九日会社はこれらの行為を理由に労組執行委員等一〇名に対し出勤停止四日ないし一〇日の懲戒処分で臨んだ。

その後も労組は、労組員に対する後記組織開発室出向、市場開発室配転問題、賃金問題その他についてことごとに会社と対立する姿勢をもって抗争し、幾多の労使間の衝突、そして組合活動に付随する行為に関して会社の労組員に対する懲戒処分が繰り返えされ、出向、配転、処分、賃金差別等をめぐって労働委員会に対し合計一八件にのぼる不当労働行為救済の申立てがなされ係属している。その中で昭和四九年当初から申請人に対する本件配転命令がなされる前の同年一〇月までをとってみても、会社の主張する労組員の職制に対する暴力行為一四件、労組の主張する職制の労組員に対する暴力行為八件、会社の労組員に対する処分(譴責、厳重注意、出勤停止)延べ一二〇余名にのぼっている。

一方このような労組の活動に対し、昭和四九年一月九日「社業の安定なくしては生活の安定は得られない。……全学研労組はまさに我々の生活を破壊しようとしている。……過激派グループがその活動を止める日まで闘う。」ことを標榜して会社及び関連企業従業員有志を会員とする学研「生活を守る会」が結成された。

かかる情勢の中にあって、会社は社内誌「学研ライフ」において、「労働組合に『運命共同論的』な考え方のものと『ぶん取り倒産型』との二つの流れがあるが、学研社員全体が前者の立場に立ってもらいたい」旨、「売上げ拡大のためには編集制作面の社員が応援のため出向することが必要で、一部の分子が反対のための反対を唱えてこれに応じない態度をとっていることは、学研社員としての良識を疑う」旨、「不当な配置転換とか人べらしとか臆面もなくビラに書き、撤く意図はいったい那辺にあるのか」「良識ある社員はこんなことでは煽動されない」などを従業員に訴え、暗に労組の活動を批判し、これに与しないことを従業員に訴えた。

5  賃金差別

《証拠省略》を綜合すると、会社は月額賃金のほかに毎年夏期及び年末に各一時金を、毎経営年度期末(八月)に期末奨金を支給しており、一時金は非査定部分と査定部分とから成り、奨金は全額査定によるところ、労組が結成された翌年の昭和四九年以降、これらについて労組員は概して著しく低い査定を受け、労組員以外の従業員に比べきわだって低額の支給を受けていること、本件において証人として証言した安西(昭和五〇年四月一五日解雇)の場合は昭和四九年度期末奨金において標準支給額に比し約三分の一の支給を受け、同柿本(右同日解雇)の場合は同期末奨金において約五〇パーセント、同西村(昭和四九年三月労組加入)の場合は昭和五一年度期末奨金、年末一時金等において約五〇パーセントの支給を受けているが、これらの者は労組結成ないし加入前にはこのような著しい低額支給を受けたことはなかったことが一応認められる。

しかして、このような労組員に対する一般的な低額査定について、これを合理的に首肯するに足る疎明資料は存在しない。

6  組織開発室等出向

《証拠省略》を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

会社は前記家庭直販方式の組織作りのために、昭和四七年六月に組織開発室を設立し、以来同室若しくは右兼務を現地において実施する各支社へ、営業担当部門からは勿論特に昭和四九年当初からは編集制作担当部門からも、多数の従業員を応援出向させたが、編集制作担当部門からの出向受命者の中で労組員の占める割合を昭和四八年九月から昭和五〇年四月までについてみると、そのころ編集制作部門従業員の中で労組員の占める割合がほぼ二〇パーセント強程度であったのに対し、出向受命者延人員(同一人に対し多数回の発令がなされた場合にはこれを多数に数える。)の中での労組員の占める割合はほぼ八〇パーセントと異常に高い数値となっている。

中でも、昭和四八年八月ころ新設された理工学図書事業室に配属された小峰、那須、青木の三名の労組員は、同年暮の同室廃室に伴い、昭和四九年一月から編集総務部長付に配属されると共に、同年二月一日以降支社ないし組織開発室に繰り返えし出向を命ぜられ、また女性雑誌編集室に属し女性誌「フローリア」の編集制作業務に従事していた従業員一〇名のうち編集長を含む九名が労組員であったが、昭和四八年暮同誌の廃刊が決定され、昭和四九年二月に労組員九名全員に対し各支社への出向が命ぜられた。これらのうち右編集長は労組を脱退して異議なく出向に応じたが、他の理工学図書事業室関係三名、フローリア関係七名の出向問題につき労組はこれを不当労働行為として労働委員会に救済の申立てをし、その結果同年五月にこれらの者を編集部門に戻すという内容の和解が成立した。また、会社は同年九月一日付をもって田口(精男)、山崎ほか合計六名の編集制作に従事する労組員に対し組織開発室出向を命じたが、うち一名は労組を脱退して出向に応じ、一名は出向に応じないで退社し、残る四名は命令を拒否し、労組はこれを不当労働行為として会社と交渉したが、結局内二名は異議を留めて出向に応じ、右田口、山崎の両名は指命ストライキを行って対抗した。これに対し会社は右両名に対し出向期間が終了すると更に出向命令を繰り返えして合計七回にわたる出向命令を発したうえ、昭和五〇年四月一五日に指命ストライキに名を藉りた就労拒否であるとして右両名を懲戒解雇した。

右のように一応認められるところ、このように出向受命者の中で労組員の占める割合が異常に高い点につき、これを合理的に首肯するに足る疎明資料は存しない。

7  市場開発室への申請人以後の配転命令

《証拠省略》によれば、次の事実が一応認められる。

会社が申請人に対し本件配転命令を発し、申請人がこれを拒否して以後、市場開発室配転を発令した日、氏名、その者の所属組合、旧職場、受命者の対応等は、室長の配転を除き、次のとおりである。

(1)  昭和四九年一二月二三日田口繁富味及び宮下弘二、いずれも労組員、レジャー出版事業部から、いずれも命令拒否。

(2)  昭和五〇年一月六日柿本哲夫、労組員、レジャー出版事業部から、拒否。

(3)  同年二月一六日藤崎和男、労組員、高校雑誌編集部から、拒否。

(4)  右同日古川照夫、従組員、映像局から、応諾就労。

(5)  同年四月一四日細谷晶、労組員、科学書籍開発室から、拒否。

(6)  同年六月一日長谷川正敏、従組員、人事部長付から、応諾就労。

(7)  同年六月二三日西村紘輝、労組員、高校雑誌編集部から、不同意通告のうえ就労。

(8)  同年七月三日中村順子、労組員、実用図書出版部から、就労。

この間室長は、当初前記のとおり永野編集総務部副部長が兼務していたところ、昭和五〇年一月一六日に篠原健三が専任として配置された。かくして現在同室には室長以下五名(古川、西村、長谷川、中村)が就労している。

このように室長を除く市場開発室配転受命者は、申請人を含め一〇名中八名が労組員であって、労組の組織率との対比においてその占める割合が異常に高く、しかも従組員二名のうち長谷川はこれまで営業業務に従事してきた者である。また、右配転人選の理由として会社のいうところは、申請人のほか田口、宮下、柿本、古川、長谷川、中村の場合はいずれも旧所属部署において当面従事すべき業務がない(余剰人員の活用)というのに対し、藤崎、細谷、西村の三名は、篠原室長が編集制作の業務経験を全く持たないことから、これを補佐するため編集者として十分な経験を有する者との観点から人選されたというのであるが、特に後者の人選結果がいずれも労組員となったことはあまりに異常な符合である。

右のうち命令を拒否した田口、宮下、柿本、藤崎、細谷の五名は、いずれも労組の指令により指名ストライキを行って就労しないでいたところ、会社は昭和五〇年四月一五日これを指名ストに名を藉りた就労拒否であるとして右五名をいずれも懲戒解雇した。なお右同日には前記のとおり出向命令に対する指名ストライキ中の田口(精男)、山崎の両名を右同様の理由で懲戒解雇したほか、いずれも労組執行部三役である窪田、小峰、小桧山、安西の四名を右違法な指名ストを実行させたとの理由(小峰については後記青木と同様の暴力行為をも付加して)で、労組員青木を暴力行為の理由で、いずれも懲戒解雇に処した。

労組は当初より一貫して市場開発室配転を不当労働行為として抗争する姿勢を採り、申請人に始まり細谷に至るまで六名の労組員に対する発令はいずれも拒否されるという状況の中で、相次いで労組員に対する発令を繰り返えしたことを見ると、会社は予め当該受命者の拒否を予測しつつあえて発令したのではないかと推測され、この結果同室開設以来長谷川、西村が配転に応じて就労するまでの約七ヶ月間は実質上同室の業務は全く行なわれないという事態を生じたのである。

8  レジャー出版部における異動の傾向

《証拠省略》を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

昭和四八年九月労組結成当時レジャー出版部では「旅行ホリデー」「ガッツボウル」「週刊パーゴルフ」「月刊パーゴルフ」を編集制作しており、旅行ホリデーに一一名(坂井を含む。うち一名は稿料払い社員)、ガッツボウルに七名(内二名は稿料払い)、月刊パーゴルフに六名(内一名は稿料払い)、週刊パーゴルフに八名(内一名は稿料払い)、他にパーゴルフの関西分室に二名が編集制作担当者として配置されていたが、そのうち労組員は宮下、田口(繁)、柿本(以上旅行ホリデー担当)、川上、申請人(以上ガッツボウル担当)、中村(月刊パーゴルフ担当)であり(なお川上は後の昭和五〇年四、五月ころ労組を脱退した。)、他は従組員であった。

旅行ホリデーは昭和四八年一〇月号から隔週刊誌として発刊されたところ、創刊当初より売行きはよくなく、赤字を累積していたのであるが、それにもかかわらず同年一二月ガッツボウルの月刊化(規模縮少)に伴いガッツボウル担当の青柳(編集長)及び山本を旅行ホリデー担当に吸収した。なお旅行ホリデー担当の坂井は当初より新企画の検討をも兼ね担当していたところ、昭和四九年九月頃からは新企画「ワールドテニス」の創刊準備に専念するようになった。そして前記のとおり昭和四九年九月のガッツボウル廃刊に伴い同年一一月から本多(編集長)を旅行ホリデーに、川上及び稿料払い社員大西を新企画「ワールドテニス」に配置し、申請人については部内吸収できないとして市場開発室配転となったのであるが、一方ではそのころ、旅行ホリデーの不振からその担当人員削減を必要とするとの理由で、担当編集員のうち制作進行を担当する高橋(申請人と同期入社)を除き編集経験の短い田口(経験約三年半)、宮下(同約三年)、柿本(同約二年半)の三名の労組員を右担当から外すこととし、同部内で吸収する余裕がないとして、田口、宮下に対しては同年一一月二五日から組織開発室に出向を命じた後同年一二月二三日付で前記のとおり市場開発室配転を命じ、柿本に対しては同年一二月二日から組織開発室へ出向を命じた後昭和五〇年一月六日付で前記のとおり市場開発室配転を命じた。

その後昭和五一年二月ころ旅行ホリデーを月刊誌に規模縮少するのに伴い、その前後ころ担当者葛西を教養出版部音楽雑誌編集室に配転し、正木(編集長)及び土田をレジャー出版部内に新設した書籍編集室に吸収した。また同年末ころワールドテニスは廃刊されたが、これに伴い担当者の坂井(編集長)は関連会社の立風書房の編集担当業務へ転出し、川上は月刊パーゴルフに、大西は旅行ホリデーに吸収された。かくして現在レジャー出版部に残る労組員はパーゴルフ担当の中村一名のみである。

このように、担当業務の縮少や廃刊に伴い余剰人員を生じた場合において、労組員で後に脱退した川上を除く四名はいずれも部内吸収できないとして編集制作ライン部門でない市場開発室へ配転されたのに対し、他の者はいずれも部内若しくは他の編集制作ライン部門に吸収されているのであり、この間にきわ立った対照を見ることができる。

三  そこで考えてみるのに、申請人に対する本件配転は、ただそれだけを取り出してみると、前項1に認定した経緯による「ガッツボウル」の廃刊に伴う申請人の余剰人員化と企画調査担当部門新設の必要性との結合による必然の措置とみられないではない。

しかしながらなおその必然性いかんにつき詳らかに見ると、まず被申請人は市場開発室新設の理由として石油危機に端を発する売上伸長の停滞を挙げるのであるが、《証拠省略》によれば、日消連事件直後の昭和四七年八月決算期には会社の売上げが停滞(物価上昇を考えると減少)し、利益の大幅な減少を見たものの、翌年からは売上げは再び順調に伸び、利益も昭和四九年八月期にはほぼ従前の最盛期である昭和四六年八月期並みにまで回復し、昭和五〇年には出版業界第一位の利益を挙げるに至っていることが一応認められるのであって、本件配転当時会社が経営上差し迫った危機に遭遇していたものとは認め難い。また、会社はしきりに市場開発室の業務の緊急の重要性を主張するのであるが、《証拠省略》によれば、会社はまず同室の室長として編集総務部総括者たる立場にあって同室の業務に専念するわけにはいかない永野同部副部長をして兼務させたうえ、その後間もない昭和四九年一二月にはさらに同副部長をして教養出版部の副部長をも兼務させ、翌五〇年一月には専任室長として篠崎健三を配置したものの、同人はそれまで編集制作業務に従事した経験が全くないのであり、会社の主張するような位置にある同室の総括者として適任者とはとうていいえないことが一応認められる。そしてこのため前示のとおり室長を補佐すべく編集制作業務経験豊富な室員を配置する必要を生じたというのであるが、これはまた余剰人員の活用という当初の目論みに矛盾するのである。そして会社は同室員として、まずレジャー出版部から編集経験未熟者として排除された申請人、次いで同じく田口、宮下、柿本を順次配置しようとしたのであるが、そのことはまた同室の業務の重要性という観点とは矛盾することが明らかである。さらに、既に認定した会社側の説明自体によっても、市場開発室の業務目的はいささか抽象的なものであるところ、同室のその後の業務遂行の状況を見ても、《証拠省略》を検討してみるのに、新企画の検討、商品の再点検という業務は各商品毎の編集制作ライン部門あるいはその販売業務担当部門において、系統的にではないにしても従来から行なわれてきたところ、市場開発室において行うべき業務のこれら在来の業務との関連性あるいは特異性は必ずしも明らかではなく、昭和五〇年半ば以降現実に行なわれた同室の業務の成果は、必ずしも具体的な企画に直結するような方法と形態においてなされているものとは窺えないし、現にその成果が直接現実の企画として採用されあるいはこれに寄与した事例は具体的にこれを見出すことができないのである。してみると同室の業務が、余剰人員をとりあえず配置するという以上に、会社が主張するように会社にとって緊急かつ重要なものである、あるいは会社がそのような位置づけをもって同室を設立したものとは、にわかに肯認し難いところである。

他方申請人の余剰人員化についてみても、「ガッツボウル」廃刊に伴い申請人を他に配置すべきこと自体は、まことにやむをえないことと認めうるけれども、前項2に判断したように会社は従来大筋において編集制作要員として採用した従業員はその部門に配置するという人事態勢をとってきたところ、現に《証拠省略》によっても、「ガッツボウル」廃刊に伴い会社としては申請人をできるだけ部内吸収しようと考えたというのであり、そして前項8に認定したところによれば、会社は一般に編集制作担当従業員の現に担当している業務が廃止されまたは縮少されても、これをできるだけ部内若しくは他の編集制作ライン部門に配置するよう努めていることが窺われるのに、《証拠省略》によれば、申請人の場合についてはレジャー出版事業部以外の他の編集制作ラインの部門への吸収の可否は検討しなかったというのである。してみれば、「ガッツボウル」廃刊に伴い申請人を編集制作ライン部門から外さなければならないという必然性もまたにわかに肯認しえないところである。

しかるところ、前項3ないし8の認定事実によれば、会社は労組ないしその活動を、会社の希求する従業員像に反して、ことごとに会社と対立するいわゆる「ぶん取り倒産型」組合ないし組合活動として嫌悪し、このため賃金査定や社内配属において労組員に対し不利益な取扱いをしてきたことが推認しうるものというべきである。とりわけ7において認定したように、申請人以後の市場開発室配転命令が労組員に対し集中的に発せられてきた経緯は重要であり、先に述べたように、編集経験未熟な余剰人員という理由で最初に順次配転を命ぜられた申請人、田口、宮下、柿本の四名、そして余剰人員の配置という考え方とは相矛盾する編集経験豊富な室長補佐役という理由で順次配転を命ぜられた藤崎、細谷、西村の三名がいずれも労組員であることは、とうてい偶然の一致として観過しうるところではないのであって、これらの配転はこれらの者が労組員であることを主要な動機として発令されたものと推認するほかないというべきである。

前項2に判断したように、申請人と会社との労働契約において申請人の提供すべき労務が編集制作ライン業務に限定されているとは断じ難いし、また市場開発室の業務が編集業務でないとは断じえない。しかしながら右業務が編集制作ラインの業務でないことは明らかであり、編集経験一年半の未熟な申請人にとって右が編集制作の基本的技能の修得に適した業務でないこともまた経験則上明らかというべきであって、当面は専任でない室長の下で唯一人不則れな営業的技法と経験のない高校関係の商品の取扱いを要求される右業務に就くことは、これを申請人にとって不利益な配転というに妨げないものとうべく、会社もまたそのことを推知しえないはずはない。

以上の諸事情を綜合すると、申請人に対する本件配転命令は、被申請人の主張するところを決定的理由とするものではなく、労組ないしその組合活動を嫌悪した会社が、申請人が労組員であることを理由としてなした不当労働行為と判断するのが相当であり、よって申請人を拘束する効力を有しないものといわなければならない。

そうとすればまた、右配転命令に応じなかったことを理由として会社が申請人に対してした本件懲戒解雇も無効である。

よって申請人は会社に対しなおそのレジャー出版部を勤務すべき部署とする従業員たる地位にあることになる。

四  次に申請人の会社に対する賃金等請求権について判断するのに、申請理由4項の事実は、このうち申請人が昭和五一年六月に四級職に昇格するはずであること、同年七月以降の賃金額(別表1)、同じく賃金内訳(同表2)、昭和五一年一二月一〇日及び昭和五二年六月二〇日各支給分の一時金の額(同表3)、昭和五一年(追加分を含む)、昭和五二年の各期末奨金の額(同表4)の点を除いて当事者間に争いがなく、そして右争いのある賃金等の金額についても、昭和五一年七月から同年一二月までの賃金月額一六万二、三〇〇円、昭和五二年一月以降の賃金月額一八万二、五〇〇円、昭和五一年期末奨金二五万二、〇〇〇円、同追加分三万五〇〇円、同年冬期一時金四一万五、四五〇円、昭和五二年夏期一時金四〇万六、五〇〇円、同年期末奨金二三万八、〇〇〇円の限度では被申請人の認めるところである。

しかるところ、《証拠省略》と《証拠省略》とを対比すると、右の争いは全て昭和五一年六月の四級職への昇格いかんに帰するのであるが、この点を積極に肯認するに足る疎明はない。

よって賃金等請求権については、右被申請人の認める限度でのみこれを肯認しうるものというべきであり、そうすると被申請人の自認するとおり、昭和五二年一一月一五日までの賃金等総計額は八四七万四、八七八円となることが計数上明らかであり、同年一二月分以降の賃金月額は一八万二、五〇〇円である。

五  《証拠省略》によれば、申請人は賃金を唯一の収入として生活する者であることが一応認められるから、本案判決確定に至るまで会社から従業員として取り扱われず、賃金等の支払いを受けられないでは生活に困窮し、著しい損害を蒙るものというべく、また本件配転命令は前述のとおり無効というべきところ、被申請人はこれを有効と主張しているから、この点について仮の地位を定めないと、就労の問題をめぐってさらに紛争が継続するおそれがある。よって申請人が被申請人に対し勤務部署を本件配転前のレジャー出版部(本件配転命令当時レジャー出版事業部、現在レジャー出版部)とする労働契約上の地位を有することを仮に定め、右認容の限度で賃金等の仮払いを命ずる保全の必要性があるものということができる。

六  以上の次第であるから、申請人の本件仮処分申請は、右の限度で理由があるものというべく、保証を立てさせないでこれを認容することとし、賃金等仮払いを求める部分のうち右認容の限度を超える部分については被保全権利の疎明を欠くので却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱崎恭生)

〈以下省略〉

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